公共の福祉とは

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「公共の福祉」。おそらく、どこかで聴いたことのある単語だと思います。

これだけではちょっと意味が解りづらいと思いますが、この「公共の福祉」という単語、日本国憲法の中で4回出てきます。

第12条【自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止】

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第13条【個人の尊重、幸福追求権・公共の福祉】

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第22条【居住・移転・職業選択の自由、外国移住及び国籍離脱の自由】

1  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2  何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第29条【財産権】

1  財産権は、これを侵してはならない。
2  財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3  私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

原文である英文で"public welfare"です。まあ、間違いではないのですが、もうちょっと違った訳が出来たんじゃないかと個人的には思いますが、とにかく4か所で出てくる「公共の福祉」とはどういう意味なのでしょうか。

4か所で出てくる「公共の福祉」が、どのような文脈で使われているかを意識しながら次のたとえ話を読んでみてください。

人が二人以上いれば人権は必ずぶつかる

あなたと親友のふたりが4畳程度の密室にいるとします。

暫くは二人で談笑していましたが、喫煙者であるあなたは煙草を吸いたくて堪らなくなりました。

でも、親友は煙草を吸いません。どころか嫌煙家。煙草の煙が大嫌いです。外へは出られないので、煙草を吸いたければ4畳の密室で吸うしかありません。

煙草を吸うことが「喫煙権」、煙草を嫌うことが「嫌煙権」という人権だとしましょう。(ここでの「喫煙権」と「嫌煙権」の対立については現実世界ではなく架空の世界だと思ってください。あくまでイメージで)

人権と人権の衝突

ここであなたの「喫煙権」、親友の「嫌煙権」が衝突することになります。

人権が衝突するということは、お互いが己の人権を貫くことが困難になってきます。お互いの人権を貫けば、どちらかが多大な人権侵害を被ることになるか、どうしようもない混乱が起こることでしょう。

ということは、上手くまとめるには、お互いが歩み寄ってお互いの人権侵害が最小限になるように妥協するしかありません。もちろん、妥協案は合理的なものでなければお互いの納得はないでしょう。


このたとえ話でお解り頂けたと思いますが、社会生活の中では人一人ひとりの人権は保障されているわけですが、その人権は必ずどこかで他の人権と衝突し、結果、一定の制約を受けることになります。

多種多様の人間が生活する社会だからこそ、人権対人権の衝突は必ず起こります。それは「人権保障」というものの運命であり、さらに言えば宿命でもあります。

「公共の福祉」イメージ図

つまり、人権には限界があり、いくら日本国憲法で人権保障を謳っても現実社会で通用させるには一定の範囲で制約を受けることは論理必然なのです。

そこで、この人権制約の根拠となるものがたとえ話で出てきた「妥協」です。

もう少しわかりやすく言えば法律や条例ということですが、「公共の福祉」とは、この「妥協」です。

人権と人権の矛盾・衝突を公平に調整するために法律や条例で人権相互をいい具合に調整する。これが「公共の福祉」ということです。

「公共の福祉」とは(一元的内在制約説)

人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理

「公共の福祉」とは上のように定義出来ますが、この定義を条文の4か所の部分に当てはめてみてください。条文の意味のイメージが湧いてきませんか?

もちろん、「公共の福祉」は12条、13条、22条、29条だけに妥当する原理ではありません。およそ人権と言うものにはこの原理が妥当すると考えてください。

ちなみにこの「公共の福祉」という概念は、いろんな変遷を経てこのような原理にたどり着いています。

例えば、人権はそもそも一定の制約を受ける(内在的)というものではなく、社会安寧のために制約を受ける(外在的)とか、外からも内からも制約を受ける(内在・外在二元的)とかもありましたが、今日では「一元的内在制約説」と言う説に至っています。

「公共の福祉」はダブル・スタンダード?

「公共の福祉」とう人権相互の調整原理は、これ自体では具体性に欠きます。法律などによって調整が図られるわけですが、どういう基準で調整していけばいいか、「公共の福祉」という原理だけではハッキリしませんよね。

そこで人権の性質毎個別に調整具合を変えていこうという考え方があります。

人権の分類」では、「国家からの自由(自由権)」とか「国家による自由(社会権)」などといった人権を性質毎に分類していますが、自由権はまさに「国家権力は俺に介入しないでくれ」という人権として非常にベーシックなものです。 ベーシックな人権ですから、公共の福祉による制約もデリケートに扱わざるを得ません。

ここが傷つくと他の性質の人権にも大きな影響が出てしまいます。

よって、国家も自由権の「公共の福祉」による制約は、必要最小限の制約(自由国家的公共の福祉)心がける必要があります。

他方、社会権は自由権ほどデリケートに考える必要はないと考えていきます。

言ってみれば、社会権などは自由権が確保されていれば、比較的挽回は容易になってきます。

社会権の場合、「公共の福祉」による制約は必要な限度において認められる制約(社会国家的公共の福祉)が必要になってきます。(※1)

イメージ的には自由権の「公共の福祉」は、社会権のそれよりデリケートな制約が求められると言った方が正確でしょうか。

いずれにせよ、「公共の福祉」による制約は人権の性質によって基準が変わったりします。

このようなダブル・スタンダード(二重の基準)は、「公共の福祉」の具体化である法律が憲法に違反していないかの違憲審査で機能していきます。

実際に「公共の福祉」の判断が求められた裁判において、当該法律が違憲か合憲かの判断基準が人権の性質によって変わるということです。

一般的にダブル・スタンダードというとあまり良い意味では使われませんが、こと「公共の福祉」の判断においては合理的であると考えていく訳です。

この違憲審査基準については各条文において必要であればもう少しお話していきますが、ここではこういう考え方があるということを頭に入れておいて頂ければ幸いです。


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