思想及び良心の自由、信教の自由、学問の自由
| 内心的精神活動の自由 | 外部表示的行為の自由 |
|---|---|
| 思想・良心の自由 | 表現の自由 |
| 信仰の自由 信教の自由 宗教活動の自由 | |
| 研究の自由 学問の自由 研究発表の自由 | |
思想及び良心の自由(19条)
- 第19条
-
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
憲法19条の「思想及び良心の自由」とは、明治憲法下の過去の我が国において、法律を運用して特定の思想を弾圧しようとした経験の反省から生まれたものと言って良いでしょう。
思想・良心の自由とは、「心の中の自由」になります。 人それぞれが、心の中で何を思い何を考えるかは他人はおろか国家からも一切干渉されない自由を表します。 内心に留めている限りおいては他者の人権を侵害することはあり得ないわけで、「公共の福祉」による制約は受けません・・・
信教の自由(20条)
- 第20条
-
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
「信教の自由」とは、一言で言えば、「どんな信仰をしても国は保障しますよ」ということです。
さらに、信教の自由を保障するために「政教分離原則」という制度をつくって国家は特定の宗教を優遇することはしないとしました。
信教の自由は明治憲法下でも保障されてはいました(明治憲法28条「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限」りで保障)が、 他方、当時は日本の長い歴史に則って、事実上国家神道が国教とされており、当時の日本政府は、この国家神道を都合の良いように利用していたのは事実です。
そして、日本国憲法では20条に信教の自由を置きました。それは、どういったことが規定されているのでしょうか。
個人的には「腑に落ちない度」が強い規定及びその解釈ですが、それはさておきお話を進めます。
政教分離原則
信教の自由では、「政教分離原則」という規定を置いています。もちろん、信教の自由に大きく関するものであり、その保障を間接的に強めるものではあります。
現在でも政治上の問題、外交上の問題、社会上の問題として世間を時々賑わせますが、この政教分離原則とはどういったことなのでしょうか。
学問の自由(23条)
- 第23条
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学問の自由は、これを保障する。
「学問の自由」とはどういうことでしょうか。
その昔、地動説を唱えたガリレオが様々な迫害を受けたということはご存じだと思います。 日本でも「天皇機関説」という学説が危険思想ということで禁止されたということがありました。
このように、公権力は既存の価値や思想を批判する考えを弾圧してきた過去があります。そこで、日本国憲法は23条で「学問の自由は、これを保障する」を定めたのです。
