新しい人権とは

さて、日本国憲法では、14条以下に具体的な人権規定が並んでいます。しかし、41条からは統治機構の規定が始まってますので、27つの人権規定が並んでいるにすぎません。

時代が流れていけば、それまで表面化していなかった社会的な問題も噴出するでしょう。そうすれば、憲法が予定していなかった人権侵害が表面化してきます。

そうなってくると、憲法上規定のない新しい人権が必要になってくるわけですが、そんな新しい人権は認められるのでしょうか。

この点、憲法は制定時に考え得る人権は規定されていた(14条以下)わけですが、将来はどのような人権侵害問題が起こるかは誰にもわからないはずです。 よって、社会の変化による対応は、その都度憲法自身もバージョンアップよって個人の尊重を確保していかなければなりません。

また、自然権思想に端を発する憲法の根本的価値観を謳っている13条は、人格的生存に必要不可欠な権利・自由を包摂する包括的権利としての性格を有していると言えるでしょう。

とすれば、憲法は規定されていない人権の創設を予定していると言え、13条の幸福追求権は、新しい人権を包括的に保障する規定と捉えるべきではないでしょうか。

これが現在の通説である「権利性肯定説」ですが、判例もこの権利性肯定説のようです。

「新しい人権」の創設について

持っておくべき問題意識

13条は、憲法で規定されていない新しい人権をも保障する包括的規定であるとお話しましたが、ではその新しい人権とはどのような基準で創設されていくのでしょうか。

この話の前提として問題提起させて頂きたいのは、何でもかんでも憲法上保障され得る人権としてしまったとしたらどういう世の中になるか想像して頂きたいのです。

解りやすい事例が「喫煙権」と「嫌煙権」の話です。

仮に嫌煙権という憲法上保障されている人権が13条を根拠に創設されたとしましょう(嫌煙権はまだそのような人権とはなっていないと言っていいでしょう)。

嫌煙権が保障されているとなると、喫煙権は侵害されます。つまり、誰かの人権を保障するとなると、誰かの人権は侵害されることになります。

何を言いたいかというと、何でもかんでも人権人権と叫ぶのは、そんな世の中はどうなのか?という問題意識は持っておくべきだと思います。新しい人権が創設されれば、その分人権侵害も起こるものだという認識は持っておかなければなりません。 人権保障と人権侵害は表裏一体をなすものと覚えておきましょう。

ですから、新しい人権について考えるときは、本当に保障すべき人権なのかという観点で考えるべきでしょう。

創設基準

この新しい人権の創設基準について、現在通説なのが「人格的利益説」というものです。 他にも「一般的自由説」という有力なものもありますが、判例では(否定しているわけではありませんが)人格的利益説に向いているようですので、こちらはのちほどご紹介します。

人格的利益説

【内容】
人格的生存に不可欠な権利が13条で保障されている。憲法上の権利と言えるかどうかは、それが個人の人格的生存に不可欠であるかは種々の要素を考慮して慎重に決定しなければならない。

【根拠】
① 新しい人権を無制限に認めていくと既存の人権の価値が相対的に低下する
② 新しい人権が他の既存の人権の制約根拠として使用されると既存の人権保障が低下するおそれあり
③ 裁判所の主観的な価値判断によって権利が創設されるおそれあり

現在まで、新しい人権として真正面から裁判所で認められているのは、プライバシー権ぐらいです。それだけ、新しい人権の創出は慎重にならなければならないということでしょう。

さらに、広い意味ではプライバシー権に含まれると言って良い自己決定権、名誉権あたりは、裁判によっては認められているものもありますが、多くの議論があります。


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