人権の3つのレベルとは
一口に「権利」と言っても、なんでもかんでも憲法上保障されるものではありません。
適当に「~権」というものを創出して憲法上で保障される人権として認めてしまっては、どうにも窮屈な世の中になってしまい、とんでもないことになってしまうことは誰もが想像できることだと思います。
憲法上保障され得る人権となるには、段階を踏んで、その都度ハードルを超えてなされるべきと考えていきます。そのハードルは2つあり、すなわち、人権には3つのレベルがあると考えていきます。
まず、第一段階として、その時代時代の背景から、社会的要請に応じて度々又は頻繁に主張されていく「権利のようなもの」が形成されていきます。
これを「背景的権利」と言いますが、この段階ではまだ憲法上で保障され得る人権とは言えない段階です。
例えば、「嫌煙権」なるものはまだこの段階だと言っていいでしょう。嫌煙権があるのと同時に「愛煙権」もあるわけで、嫌煙権が憲法上保障されるとなると、愛煙権の侵害になります。
仮にこの嫌煙権がある一定の条件を満たしていけば、憲法上保障され得る人権に昇格されてきます。
このような段階を踏んできた人権として、環境権、プライバシー権がそれに当たると言っていいと思いますが、この段階になると、「法的権利」と呼ばれ、法規範性を持ってきます。
この法規範性という言葉は、前文のところの判例でも出てきますが(長沼事件 第一審・第二審判決)、法的拘束力があるか否かという話です。
ここまできても、すべてが裁判的な人権救済ができる、すなわち、裁判規範性があるわけではありません。
先出の環境権、プライバシー権の話で言えば、これだけでは抽象的すぎて裁判でどう救済していいのかわかりませんよね。
つまり、このような人権は法整備が必要ということになります。
このように法整備が必要な人権を「抽象的権利」、直接裁判的救済を求めることが出来る人権を「具体的権利」と言います。
そして、抽象的権利と似ている概念で、「プログラム規定」なるものがあります。 プログラム規定とは、国家に対してその実現に努めるべき政治的・道徳的目標と指針にとどまる規定です。
このプログラム規定は、そもそも人権規定とはみなされず、よって、法規範性はありません(当然、裁判規範性もありません)。
共通点は、何らかの侵害があった場合、政治的救済が可能になってくるという点では近い概念といえます(その強制力は弱いかもしれませんが)。
プライバシー権、環境権で言えば、プライバシー権は日本国憲法第13条の幸福追求権、環境権は13条と25条の生存権で保障されていると言われ、それぞれ「個人情報保護法」等、環境基本法、家電リサイクル法等の法整備がなされています。
ですから、プライバシー権、環境権は具体的権利と言っていい人権になります。
ここまでの話、下図にまとめてみました。

