日本国憲法成立の端緒はポツダム宣言受諾
ポツダム宣言
1945年7月26日に発せられたポツダム宣言には国体護持の条項他がなかったため、当初はその受諾に際して政府内では議論が巻き起こりました。
しかし、その後のソ連側の日ソ中立条約の一方的破棄、広島・長崎の原爆投下によって「国体護持」一点を条件に降伏文書に調印する旨、連合国側に通告、これに対する回答を待ちました。
ただ、連合国側の回答は微妙なものであり、取りようによってはどちらとも取れる内容でした。そして、その曖昧な中、日本政府は宣言を受諾することを決定、8月15日の玉音放送になりました。
日本は第二次世界大戦に敗れました。一般的には無条件降伏とは言われていますが、条件付きの降伏であるとの意見もあります。
日本国憲法はここから始まりました。
ポツダム宣言には国体護持が具体的には盛り込まれていなかったため、国内的にはそのあたりの混乱があったようですが、とにかく日本は武装解除しました。
マッカーサー草案とGHQ監視の下に日本国憲法成立
マッカーサーの指示の下、ポツダム宣言の内容をもとに明治憲法を改正する必要があった当時の幣原喜重郎内閣は、「松本委員会」という憲法問題調査委員会を設け、憲法改正に動き出しました。 同委員会は、甲案・乙案の二つの草案を作成しましたが、1946年2月1日、その試案が毎日新聞にスクープされ、世に出てしまいました。
ダグラス・マッカーサーはこの試案内容に不満を示し、1946年2月3日、「マッカーサー3原則」を打ち出し、新憲法のGHQ草案(マッカーサー草案)の起草作業が開始されました。
「マッカーサー3原則」とは、「戦争の放棄」「象徴天皇制」「封建制の廃止」でした。
そして2月13日、マッカーサー草案が完成し、日本政府に渡されます。つまり、日本国憲法の原案は、実質、1週間程度で作成されたことになります。 草案は、民政局の20代~50代の25人の日本通の弁護士や学者達で作成されていますが、その中には憲法のスペシャリストはひとりもいなかったそうです。
草案は、ドイツのワイマール憲法やソ連のスターリン憲法あたりを参考にして作成されたそうです。 民政局にはマルクス社会主義者や日本の急進派など、共産主義者が数多く在籍していたそうで、そういった者の意見も大きく取り上げていったそうです。
そして、このマッカーサー草案をもとに日本政府案の憲法改正案がまとめられていきます。このスタッフはGHQ側は20人、日本側はたったの一人という状況でした。 さらに、帝国議会両院でも憲法改正小委員会を設けて議論していきましたが、すべてGHQの監視付だったそうです。
こういった状況の中で内閣草案は、明治憲法73条の手続きに従って可決され、1946年11月3日、日本国憲法として公布され、翌年の5月3日、施行されました。
おおよそですが、これが日本国憲法の成立過程です。
当時の日本はGHQ占領下でしたので仕方がない部分もあるかもしれませんが、日本人・日本政府云々ではなく、GHQ主導の下に進められ、GHQの良いように制定していったのが日本国憲法でした。
「日本国憲法は押し付け憲法だ」なんてセリフを聴いたことがあるかもしれません。私も過去に何度か聞いてきました。 最初はよく意味が解らなかったのですが、調べていくと納得しました。日本国憲法は日本人の意志が反映されたのではなく、 共産主義思想が蔓延していたと言われる民政局(ソ連のスパイが数多くいたとも言われていますが)の意志を基に制定されていった憲法と言えるでしょう。
日本国憲法の民定性について
日本国憲法の前文の前にこんな文章が並んでいます。
朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
これは「上諭」と言って、一言で言えば「天皇の御言葉」です。
この中に「帝国憲法第73条による」とあります。つまり、明治憲法73条の手続きを経て明治憲法が日本国憲法に改正された、ということです。実際、そういう手続がなされました。
明治憲法は「欽定憲法」と言って、君主の名のもとに制定された憲法です。 そして、日本国憲法は国民主権です。憲法改正には限界があり、主権者が変わるなんて通常、ありえない、というより、理屈としておかしいです。
この点、「8月革命説」という革命が起こったという説でまとめられているのが通説です。
すなわち、天皇主権であった明治憲法の改正段階でポツダム宣言受諾という、一種の革命が起こり、国民が主権者である日本国憲法に改正になったと説明します。
個人的には非常に苦しい説明とは思います。そういった意味では、明治憲法と日本国憲法の連続性には疑問せざるを得ないと言わなければなりません。
日本国憲法無効論とは
日本国憲法の民定性、あるいは「8月革命説」にも大きく関連していることですが、この日本国憲法には無効論というものがあるのをご存じでしょうか。
「日本国憲法の民定性について」をお読み頂ければその論理矛盾から私と同様の感想をもつ方も多いことでしょう。
さらに、日本国憲法の成立過程は、国際法に抵触していると言われています。
ハーグ陸戦条約の43条にはこんな規定が置かれています。
[占領地の法律の尊重]
国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限、占領地の現行法律を尊重して、 成るべく公共の秩序及生活を回復確保する為、施し得べき一切の手段を尽すべし
日本国憲法は、GHQ占領下で制定されたものですが、この規定に照らすとどうなのでしょう。 また、大西洋憲章の3条の趣旨に照らしても問題があると思われ、ポツダム宣言12条にも違反しています。
政府形態を選択する人民の権利
前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ
このように、憲法改正限界説、あらゆる国際法違反を起こしたことから日本国憲法無効論が唱えられています。
前述の「八月革命説」などは、未だに憲法学界では多数派であり、憲法の基本書にも堂々と掲載されている説です。 しかし、数々の国際法違反や「八月革命説」と同じ憲法改正限界説からなる日本国憲法無効論は私の知る限りでは掲載されていない場合が殆どだった気がします。
アンフェアだと思うのは私だけでしょうか。
ただ、私の個人的意見ですが、無効論を主張するのは大いに結構であり共感も出来ます。しかしながら、今さらどうこう出来るものでもないとも思っています。 今の私たちに出来るのは、事実を知り、日本国憲法を知り、そこをスタートにして未来を見ていくことだと思います。
参照元:日本国憲法の誕生(外部サイト)
参照元:八木秀次著「日本国憲法とは何か」
